「私たちは5歳の少年が頭を吹き飛ばされて診療所に連れてこられたのを見ました。頭蓋はあっても脳みそが残っていない子供もいました。 また、母親が赤ちゃんを抱いたまま殺されていたのですが、赤ちゃんの首はなく、母親の体のいたるところに爆弾の破片が突き刺さっていました。これでも、犠牲者の95%は武器を持った民兵と言えるでしょうか?」
(ファルージャの臨時診療所で治療にあたるイラク人医師; 「ファルージャの攻撃で殺された六百人のイラク人のうち、95%は武器を持った民兵たちだった」という米軍司令官のコメントに対して)
この記事の中に、やはりムジャヒディンによって拘束された、オーストラリア人の人道支援家ドナさん、イギリス人ボランティアのベスさんの証言が出てきます。
日本政府や一部メディアは、「退避勧告を13回も出したのに」日本人フリージャーナリストや人道支援家がイラクに入国したことはメイワクなことだと言い放ち、今回の3人の被害者を「自己責任」という言葉で公開吊し上げにし、イラクへの民間人の入国を牽制しようとしています。
しかし、第3者的な立場に立つ、これらフリージャーナリストや民間人人道支援関係者の存在がなければ、誰がこうしたイラクでの真実 ―権力にとって都合の悪い真実― を告発するのでしょうか。
民間人を「戦地」から排除しようとする日本政府の態度には、国民保護法案などの有事法制でも懸念されている、情報統制・報道の体制翼賛化を想起させられます。
個人として、自分自身の考えと意思を持って行動する人間は「メイワクな(反日的分子・反政府の by自民党柏村武昭参議院議員)非国民」とされ、政府にとって都合のいい行動だけが歓迎される社会は、本当に自由で民主的なのでしょうか。
(以下転載)
[TUP-Bulletin] [TUP速報] 289号 ファルージャの真実 04年4月22日
停戦交渉が始まって数日たったファルージャでは、今日(21日)もまた武装していない市民6人が死亡し、10人が負傷したと、ロイター通信は伝えています。
アメリカで最も公平なラジオ番組のひとつ、「デモクラシー・ナウ」で、イラクの様子を届けてくれるアーロン・グランツの記事が出たので、ラジオのインタビューとともに抄訳しました。
ファルージャからバグダッドに逃れてきた人々の証言から、生々しい「ファルージャの真実」が伝わってくるようです。
(パンタ笛吹/TUP)
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ファルージャの真実
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アーロン・グランツ
4月21日 インタープレス・サービス
家族とともに、やっとのことでファルージャから逃げ出した11歳の少年ユーセフの話は、他の多くのファルージャ市民の体験を代弁している。「アーメド君は同じクラスの友達なんだ。アーメド君が小学校の前の道を横切ろうとしたら、撃ち殺されたんだ。アメリカ兵から・・・」
米軍司令官は英記者の質問に、「ファルージャの攻撃で殺された六百人のイラク人のうち、95%は武器を持った民兵たちだった」と答えた。
ファルージャの臨時診療所で負傷者の治療にあたってきたイラク人医師に現場の状況を語ってもらった。
(ドクター) 「私たちは5歳の少年が頭を吹き飛ばされて診療所に連れてこられたのを見ました。頭蓋はあっても脳みそが残っていない子供もいました。 また、母親が赤ちゃんを抱いたまま殺されていたのですが、赤ちゃんの首はなく、母親の体のいたるところに爆弾の破片が突き刺さっていました。これでも、犠牲者の95%は武器を持った民兵と言えるでしょうか?」
米海兵隊によってあまりにも多くのファルージャ市民が殺されたので、サッカー競技場に200人以上の遺体を葬らなければならなかった。
(ドクター) 「私たちは多くの遺体を競技場に埋めたので、そこはすでに一杯になっています。しかし問題は、私たちは遺体をちゃんと地中深くに葬ることができなかったことなんです。
競技場でゆっくり埋めていると米兵に撃たれるので、人々はシャベルで急いで穴を掘り、そこに何人もの遺体を重ねて放り込んで、上からすばやく砂をかけて逃げるしかなかったんです」
ファルージャでは、負傷した人々を運んでいた救急車でさえ、何度にもわたって米兵からの攻撃を受けたという。
(ドクター) 「米軍によって孤立させられ、白旗を振って助けを求めている家族に水と食料を届けようと、救急車でその家に近づいたのですが、救急車のドアを開けるたびに米兵が狙撃してきたので、家まで入れなかったんです。
しかたがないので水と食料を家の前の道路に置いて病院に戻ろうとすると米兵はその水のビンと食料の袋まで撃ちこわしたんです」
米軍の狙撃兵や爆撃機は、家の中に待避していた市民の多くも殺害した。米軍の爆撃にあい、二人の従兄が殺され、五人の家族が負傷したアル・ハムザ氏はこう糾弾する。
「2日間、私の二人の従兄の遺体は、2日間も我が家の居間に寝かせて置かなくてはならなかったんです。というのは、遺体を埋めるために外に出ようとすれば、米兵に撃ち殺されるかもしれないからです。でも二人の遺体が腐り始めたので、裏庭を掘って埋めました。
ブッシュ大統領はすべてのイラク人を敵にまわしたと思います。いまだに電気もろくになく、水道水もありません。おまけにみんな仕事も失ってしまったしね。いまファルージャで有り余っているのは、爆撃機やヘリコプターからの投爆と、米兵からの銃弾の雨だけです」
ファルージャで働いた人道援助活動家、オーストラリア人のドナ・マルバンは、米海兵隊は無差別発砲を繰り返していると、こう語った。
「ファルージャで私たちは薬が切れた医院に医薬品を運ぶため、救急車といっしょに米軍が占領している区域を通ろうとしました。車から降りる前に、拡声器で『私たちは青い色の医務服を着ています。いまから医薬品を医院に届けに行くので撃たないでください。パスポートを手に持っていま車から出るところです』と大声で米兵に報せました。そして、両手をあげて道を歩きはじめると、米兵は後ろから私たちを撃ち始めたのです」
ドナ・マルバンたちにとっての問題は、米兵だけではない。彼女たちはファルージャに行く途中、ムジャヒディン(聖なる戦士)に拉致され24時間にわたって拘束されたのだ。その体験をドナはこう語る。
「彼らは、最初は私たちが誰なのかを知りたがっていました。私たちの持ち物を検査したり、質問を繰り返すうちに、私たちが人道援助活動家だと分かってくれたのでしょう。それからは、敬意の気持ちをもって接してくれ、ご馳走までしてくれました」
ドナと同じグループにいて拘束されたイギリス人ボランティアのベス・アンジョーンズは、ムジャヒディンと話すうちに、「米軍の攻撃の醜さ」という共通の話題で通じ合うものがあった・・・とこう語った。
「彼らは自分の兄弟がこうして殺されたとか、父親がこう射殺されたとか、詳しく私たちに語ってくれました。それでムジャヒディンのみんながどれだけ米軍に対して憤りを感じているかが分かりました。
1年前にサダム政権が崩れてアメリカから自由を約束されたのに、いまでは自由どころか米軍に痛めつけられ苦しんでいる現実があるだけなんです」
バグダッドに無事に戻ってきたドナは、自分を拘束したムジャヒディンに対して、もはや怒りを感じてはいなかった。
「ファルージャは海兵隊に包囲された街なんです。いま街から避難しようとしている女性や子供たちでさえ、街を出るのを止められています。そして空からの爆撃はいまでも頻繁に続いています。米軍狙撃手は動くものは何でも撃つので、人々は怖がっていまだに家から外に出られません。
ファルージャの人々は、自分たちの国と、自分たちの街に閉じ込められ、捕虜になっているのです」
(抄訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/04/13/1443247
http://www.antiwar.com/ips/glantz.php?articleid=2352
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